灰色のロバ

地球が宙に浮いていること 誰もがそれを忘れている それでも時折不安になる

その日の夜

あたりはもう暗くなってた 自宅のある住宅街にはいるとライトの光の中を
どこかのミニチュアダックスが車を追いかけてきた
2百メートルくらい走って車庫に止めた車の下に潜り込んだ
懐中電灯でテラスと茶色い二つの目でボクに何かを訴えていた
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何かを知らせに来たのだろうか ふとそんな考えに囚われた

飼い主を捜しにボクはリコと散歩にでた
すぐに飼い主は見つかってボクはお礼を言われ犬は家に帰った
そのことをスーザンに写真をつけてメールで知らせると
珍しくそく電話がかかってきた
「私ね今N病院にいるの」声は泣いている
「どうした!」思わず大声を返すと「ドンちゃんが倒れてた~」と泣きわめいた

病院に着くとMRTの前でスーザンは泣きはらした目で駆けつけた主治医と話していた
時折涙を拭う 父親のように歳の離れた夫と愛犬の三人でささやかな家庭を築いていた 犬が子供のようなものよ そう言って笑ってた
そんな生活が一瞬でくずれさったのだ 
小刻みに揺れる肩は痛々しかった

やがて厚い鉛の扉が開き
掲げた左手を小刻みに震わせてベットに横たわったドンが運ばれてきた 
昼間迄の威厳も存在感もない震える肉体となって横たわっていた 
昨日までボクの前にナチスの壁のように立ちはだかり事あるごとに
NO!を突き付けた仇敵が今は躯となって震えていた


思えばボクの仕事ぶりに惚れてスカウトしたのもドンだった
前の会社の時担当者として毎日ドンに応対していた
あの頃ボクは迷っていた前の会社からは北海道市店に支店長で行くように内示があり
半身不随の父にそのことをいうと不自由な言葉で自分はここに残ると言った
そんなこともあって会社を辞めふらりと入ったパチンコ店で隣同士になったのだ
いつまでぶらぶらしよるんな!うちんとには言うとくから明日から会社に来ない
うちは子供がおらんからな頑張れば先は開けろうがな、あ、
うちは転勤はないからな
次の日ぼくは事務所でスーザンの説明を受けていた
あれから苦しいことも楽しいことも色んな事があった
未明の冷蔵庫の中から水を張ったパンに入れた馬鈴薯を運びながら
社長いつまでこんな事が続くんですかと聞くボクにあんたが死ぬまでたいそう言って肩をたたいて笑ったのもあなただったし 
今は無理やけどな中学の給食が始まったらなそんときはもうわしはおらんやろうからあんたの好きにしたらいいたい それまで頑張んない!
そのくせボクが力を付けてくると事あるごとに反目し押さえ込もうとしたのも
ドンだった あれの仕事の仕方はどうも気に入らん うちの会社なんやから うちの目の黒いうちは勝手なことは許さん!いつもそれが口癖だった
それでも口では文句を言うくせに ボクを最期までクビにはしなかった
会社を家庭に例えるなら婿と舅の諍いそんな毎日だった
そんなあんたが今は襤褸屑のように横たわっている
ボクにとってあんたは永遠のライバルだったし目標だった
二人は互いに相手にないものを持っていた

昔ドラマのなかで盲目の女の子がこんなことを言った
地球が滅びてね、一艘の船があります。つまりノアの箱舟だね
その船に自分ともうひとりだけ連れてっていいのね
次の動物から選びなさい
馬、孔雀、虎、羊
…心理テストなの
自分が何を一番大事にしているか、何を求めているか
馬はね、仕事。孔雀はお金だって。虎はプライド。羊は愛情だよ
男の人の場合はね、羊って答えた人だけが女の子を幸せにしてくれるんだって

ボクは馬だった
馬を選んだ男は仕事を人生の本義と考える 頷ける所もある それはボクの中に巣食う業のようなもので仕事のために葬儀をすっぽかしたりする
ボクは当然ドンは孔雀を選ぶと思っていた 孔雀はお金だ 傍目にはそう見える ところが意外なことにドンは羊を選んだとスーザンから聞いた 意外だった
 ボクはドンの本質に触れた気がした
彼は守るものと守らないものを厳しく峻別した
守る必要のないものにまで愛想を振りまくことを一番嫌った
うちの会社やろうがなうちの好きなようにして何が悪い!
それでも反目しながらもボクをクビにしなかったのはこんな日がくることをタカのような鋭い目で見通していたのか

今 ドンの変わり果てた姿を観てボクの中の何かが微かにとけてゆくのを感じた

その夜ボクの夢の中にドンは出てきた
彼は何も言わずにただ笑っていた 
最初にボクと出会ったあの時のように
優しい眼差しでただ笑っていた