橋の欄干に凭れて黒い服を着た男がこちらを見ている。
全てが現実の風景でないような気がしてS氏はああまたあいつだと思った
無視して通り過ぎる時苦笑いをして言葉を投げてきた。
一体いつまで待たせる気なんだ
しょうもないものばかり書きやがって
え 一体いつまで待たせる気なんだ
その内老い耄れてペンも持てなくなるぞ
キィボードも見えなくなるぞ
おまえのした唯一の褒められる事と言えば…
無視して通り過ぎる気でいたが
その続きが聞きたくてついいつものようにS氏は立ち止まってしまった。
善良なおまえにとっては過ぎたる光を持った妻といまだ別れずにいる事だ。
その続きはもう何回も聞いていた。
若いころも中年のころもいつも決まって同じ言葉だった。
S氏は立ち止まって振り返り黒い服を着た男を正面から見据えた。
そうさわかっている
そんな悪態を吐くおまえが 実は私自身であるという事も
そしてわたしはこんな中途半端なまま歩いてゆくことも
S氏はまた歩き始めた
湖畔を渡る冷たい風の向こうにほのかな水仙の香りがした。