灰色のロバ

地球が宙に浮いていること 誰もがそれを忘れている それでも時折不安になる

老人ジェット ある臆病者の系譜

 石楠花の咲き乱れる犬ケ岳の頂上付近で二人の白骨遺体が発見されたという小さな囲み記事を目にした時、塔堂心亮はまだ二十代の半ばで、毎日がちんけなM1グランプリのステージに立っているかのように慌ただしく過ぎていってた。
未熟な自分を抱えての新婚生活は不慣れな子育てと不満だらけの仕事と、不安定な自分との調整に明け暮れ、老いは遥か向こうの山の頂のさらにその向こう側の自分にはどうでもいい世界だった。
気色の悪い!当時の心亮はこの記事を、その一言で片付けたような気がする。
この新聞の記事が今でも心に端に残っているのは、その二つの遺体が老年の男女でしかもしっかりと手を繋いでいたという一文に心が掬われたからだ。
五十路も半ばを過ぎた今となっては、この男女の関係と経緯に目が行ってしまうのは仕方のないことだろうか、少なくとも一緒に手を繋いで死ぬ相手がいたことが本来なら白骨化した遺体の悲惨な光景がどこかしら仄々とした羨ましい情景に思えてしまうのは心亮ばかりではないだろう。
死んでくれる相手、そう考えた時、心亮の心にはさんざん苦労を掛けた挙句に、満足に望みも叶えてやれずに死なせてしまった最初の妻の面影が真っ先に浮かぶ、
宇治拾遺物語の中の一つに故郷に妻を残して京の都にひと旗あげに出る男の話があるが、あの話は心亮の心の底に張り付いていて、そこに触れる度に素肌に寒風を吹きつけられる様に苦い思いに苛まれるのだった。
心亮の記憶が正しければ、宇治拾遺物語ではやっとの思いで男が故郷に戻ると妻は既に鬼籍に入っていて、男は取り返しのつかない後悔の念にさめざめと肩を震わせて号泣するのだった。
いや心亮の心の中で、主人公の男を自分に重ね合わせた他人事でない思いが長い間に物語を脚色しているのかもしれないが、例えそうだとしてもそんな事はどうでもいい事だった。
心亮にとって大切なのは、最初の妻に本当に申し訳のない事をしたという自分の真摯な懺悔の思いだけだと思った。
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その頃心亮は学生時代のアルバイトの延長でペンキ屋に勤めていた。
元来服装に無頓着な心亮は毎日毎日服と言わず身体といわずペンキをつけて帰った。
高校時代からの付き合いで、結婚したての妻はそれを怒るでもなく泣くでもなく、明るく笑い飛ばしてせっせと洗濯してくれた。
体の汚れは小さなバスタブに一緒に入って丁寧に洗ってくれた。
その時は気がつかなかったが、今から思い出してみると妻の良いところばかりが心を衝く。
いろんな経緯からそのペンキ屋を辞めて、食品工場のサラリーマンになった時に、妻はフゥ!と小さなため息をついたのだ。そのときは洗濯から解放されて安堵したのだろうと、勝手に早合点し妻に詳しく聞くことはなかったが、今から思えばあれは一緒に風呂へ入るという2人にとって儀式のように神聖なスキンシップが無くなる事への軽い失望のため息だったのかも知れない・・・。
塔堂心亮はバツ2である、そして今も妻帯者だ。
それは言い換えればこの年になるまでに三回結婚しているということだ。
三人の女性と所帯を持つ それは一見羨ましい話に見えるかもしれないが、裏を返せは三度地獄を見る事に繋がるわけで自らの不徳を恥じ、後悔以外の何物でもない。