卵巣癌の疑いあり
開けてみなければ判らない
若い医者は丁寧な口調で優しい声で
そう言った
娘はただ静かに涙を流した
善良な妻は小さな溜息をついた
私は自分が癌になる方が
何千倍も楽だった
一番弱い部分をそっと
抉られている気がした
それでも娘はすぐに立ち直っていた
受け持ちの園児を卒園させるまで
手術は出来ないと静かに告げた
医者は困った顔をして
本当は早い方がいいのですが・・・
承諾してくれた
一か月半の間に
癌の本を20冊読んだ
我が家から肉や牛乳が消えた
ケーキもお菓子も消えた
白米は玄米に変わった
ユーグレナを飲み
知り合いの墓にも線香をあげ
通りがかりの神社にも手を合わせた
どうかこの身を娘の身代わりにしてくださいと…
悪あがきかもしれないけど
出来る事は総てしたかった
それでも出来る事は限られていた
卒園式の準備に明け暮れ娘は毎晩遅く帰ってきた
ある時は腹を押さえ
またある時は頭痛がすると言って
そのままベットに倒れ込んだ
そんな様子をはらはらしながら見ていた
足掻いたほどには何も出来なかった
この日々の暮らしと云う流れの中では
手足を動かして溺れないようにするだけで
それだけで精一杯だった
飛び続ける飛行機のように
一機が煙を吐きはじめても
翼を振ってエールを送る事しか出来ない
そのもどかしさの中で
その苦しみのなかで
もがけばもがくほど
流す涙の分だけ
不思議な事に心はどんどん
澄んでゆく
無事園児達を卒園させて
娘は入院した
そして手術の日がやって来た
待合室のソファで待つ私の心は
不思議と澄んでいた
どんな悪い結果でも
受け止めようと思った
それから始まる長く辛い娘の人生も
甘んじて受け止める気だった
今感じている事は
娘の病はわたしにとって
逃れられない辛い出来事だった
過ぎ去った後に
心の色が変わった自分がいた
それは不思議な体験だった