灰色のロバ

地球が宙に浮いていること 誰もがそれを忘れている それでも時折不安になる

Reunion(再会)


 ある日 町の片隅にある老人ホームに一人の青年が訪ねてきました。
園長の前に座ると青年は静かに笑っています。
ーこんな立派な経歴なのに、こんなうらぶれたホームで働きたいとは君は変わってるね
桃野吉太郎 履歴書に目を通した園長は目の前の青年を値踏みするように見ました。
青年は見るからに育ちが良さそうで静かに微笑むその姿は見るものを安心させました。
青年は採用となり次の日からヘルパーの仕事が始まりました。
このホームには経済的にはゆとりがあっても、身寄りのない寂しい人たちばかり入所しています。
おまけに殆どの入所者がいくばくかの認知症を患っており、概ねここを終の棲家として暮らしていました。
サンルームで皆で一緒に昼食をとっている時、渡辺冬子(87)は初めて桃野吉太郎と会いました。
ーとうとうとう…
冬子はそれだけ叫ぶと酷く興奮した様子でご飯もおかずもひっくり返してしまいました。冬子は中程度の認知症で、始終ブツブツと何か喋っています。
いつものことなので誰も気にしていませんし、このホームには徘徊したり、突然怒り出したり、もっとひどい人たちがいっぱいいます。
桃野吉太郎は素早く冬子のもとに駆け寄ると床に散らばったご飯やおかずを片付けながら、冬子の膝に手を置いて小さな声で何か囁きました。
ーだいじょうぶだよ おかあちゃん
それを聞いた冬子の目から大粒の涙が溢れて出ました。

ー涙を流すとはいい兆候じゃないかね、きっと昔の知り合いの誰かに似ていたんだろう
ーそうですね、冬子さんはこのホームの入所した時から、いつもぶつぶつ独り言ばかりで、笑ったり泣いたりすることはなかったですからね
園長と士長が話し合った結果、桃野さんが冬子さんのお世話をすることになりました。
それからの冬子さんの回復ぶりは目を見張るものがありました。
独り言をぶつぶつ言うことはなくなり、食事もきちんととるようになりました。
ただいったん始まったボケは治らないのか
二人の会話は大抵意味のない他愛のないものでした。

抱っこしておんぶしてきゅきゅきゅ
ももちゃん、あの公園覚えてる ほらおいちゃんがこけたあの公園よ
おいちゃんか懐かしいな
あの頃は楽しかったね
うん毎日毎日ワクワクしてたよ
お父ちゃんとは向こうで会ったの
うんあったよ
今度はヤギになるっていってたよ
へぇ~ヤギかい あの人にはお似合いだね
ところでももちゃん
人間になるのはさぞや難しかったんだろうね
うん難しかったよでも
お母ちゃんに会いたくて一生懸命頑張ったんだよ
私はもう何も思い残すことはないよ
もも、お前がこうして会いに来てくれたからね
そうして二人はいつもハグしました。

ー桃野さんあなた良く冬子さんの奇妙な会話に合わせられるわね
ーええまあ何となく 亡くなった祖母にそっくりなんです冬子さんは
ー人間が出来てるのね
ーいえ まだなったばっかりで 全然できてませんよ
ーおもしろいわね

安らかに眠った冬子に向って
(おかあゃん会いたかったよ本当に本当に会いたかったよ、これからはいつもそばにいるからね、たくさんたくさん恩返しするよ)
吉太郎の目尻からは涙が幾筋も流れていました。

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