灰色のロバ

地球が宙に浮いていること 誰もがそれを忘れている それでも時折不安になる

イブ

一週間前から続いた陽気はイブの前日になるとジェットコースターのように下降して急激に街は冷え込んだ。それでも今日はイブ!町のなかにはジングルベルやラストクリスマスが流れ聖夜の気分を盛上げている。
彼氏や家族の待つ同僚達は、もう幾日も前からこの日は残業出来ない事を告知していて、会社としても当然のように仕事の配慮をしてある。それでも予定外の仕事は舞い込んでくる。
津田さんちょっといい?
チーフに呼ばれたのは遅まきながら帰り支度を始めた時だった。
チーフの手にはbe as quickと記されたfaxが一枚

チーフと一緒に事務所を出た時はもう11時を廻っていた。
悪かったわね、誰かを待たせたんじゃない?
いえ私は家族も恋人もいないので…
チーフこそお子さん達が待ちわびてるのでは?
そうね、偉くなるのも考えものよね
エレベーターの扉が開き二人は一階の廊下に降り立った。イブの深夜でどの会社も早じまいしたのか、閑散としている。お疲れ様です!モップやバケツを手に委託の清掃員が数名トイレに向かっていく、
その肩にのっかる白い雪片を見て
まだ降ってるんだあと明美は誰にともなく呟いた。
ビルの薄暗いエントランスの向こうが仄白く光っている
ツカツカとヒールを鳴らして急ぐチーフのあとを遅れまいとついて行った。 
自動扉の外は一面の銀世界だった。わあ‼
小さな歓声をあげる明美を尻目に チッ!とチーフは舌打ちするといきなり誰かに電話を始めた。
あっわたし そうなのよ 今おわったのよ…
そのワキを明美は軽く会釈して通り抜けようとした。
ねぇ津田さん良かったらうちに来ない?たまにはアットホームなクリスマスもいいわよ!
頬に当てていたスマホを下げてチーフが微笑んだ。
とびきりの笑顔のまえで手袋をしたてで小さく×印を作ると手を振って駅に向かってあるき出した。
雪はまだ降り続いてる
いつもの駅へと続く道もいつか絵本のページのように見える。

明美はしばし歩くのも忘れてその光景に見とれていた。
その時、道の傍らにある小さな公園のベンチに小さな白い塊が佇んでいるのが見えた。
(傘地蔵⁉)子供の頃、祖母に読んでもらった昔話を思い出した。
電車の時間を気にしながらも、無視できないで近寄ってみると、頭もショールも雪まみれの小さな老婆だった。
おばあちゃん!大丈夫?どうしたのこんなところで
明美が雪を払うと老婆は皺だらけの顔を上げニッコリと笑った。
ええおかげんで…
その笑顔が故郷の5年前に亡くなった祖母によく似ていた。
 
タクシーを拾って老婆を乗せ家に着いた頃には午前零時を廻っていた。
警察にとも思ったけれど、ドラマに出てくる冷たい留置場が目に浮かんでそれは躊躇われた。
後で警察署に保護していますと電話しとこう なんといっても今日はクリスマスだからね。
老婆は少しボケているのか、大人しく明美の指示に従ってくれる。
玄関で雪を払って、エアコンをつけ小さなコタツをのスイッチを入れると老婆をそこに座らせた。
何を聞いても、ええおかげんで…と繰り返すばかりでうまくいかない、
警察に連絡しても、何も捜索の届は出てないようなので迷惑でなければ少し時間がかかるかもしれないが、こちらから行くまで保護しておいてもらいたいとのこと。
署内の慌ただしさは電話越しに伝わってくる。
おばあちゃん おなか減ったでしょう 何か作るから待っててね
老婆はぼんやりとテレビをみている
 
冷蔵庫の中にあるものを全部入れて鍋を作った。
取り皿によそおってやると老婆はもぐもぐとよく食べた。
途中老婆の動きが止まった。
も、漏らしてしもうたわ
えっ!なに
バスルームに連れて行って、服を脱がせ温かいシャワーを浴びせる。
汚れた服は洗濯して、30分後には明美のピンクのスウェットを着た老婆がコタツに座っていた。さっぱりしたのかウトウトしている。
おばあちゃん眠くない?そうよ眠いよね
ベットで一緒に寝ようか
 
本当は寂しかったのかもしれない…
故郷を出て7年、ずっと独りで暮らしてきた。
優しいだけが取り柄の、容姿も人並みでスタイルもチビで、職業も派遣ではもてる要素は全くない。かといって帰る家もない。
父は10年前に死に、明美が都会に出ると母は再婚した。
傍らに老婆の微かな寝息と温もりを感じながら、明美は久しぶりに祖母の夢を見た。
幼き日 祖母に負ぶわれて見た一面のススキが銀色の波のように揺れる光景。
 
明け方チャイムの音で起こされた
寝ぼけ眼でガウンを羽織ってドアの外を覗くと若い警官が申し訳なさそうな笑顔を浮かべて立っていた。
昨夜は殊の外忙しくてこんな時間になってしまいました。
はあ?寝ぼけ眼で答える明美に若い警官はルームナンバーを確認すると
あのう、津田さんですよね⁉
おばあちゃんを保護しているのこちらの家ですよね
ああ~そうだった
急いで部屋の中に戻った明美はベットを見て呆然とした。
老婆の姿がどこにもない 慌ててトイレやバスルームや台所を探してみてもどこにもいなかった。
えーなんで
 
傘地蔵の話知ってますか?
ええ知ってますよ、こう見えても私噺家ですせ
老練な司会者は打ち合わせ道理 明美の話に乗ってきた。
まてよ そんなら奥さんはその雪のクリスマスイブに皆が嫌がる残業をしてそして老婆の格好した傘地蔵を助けて旦那さんとめぐりおうた ざっとまあそういうことですかいな しかし待てよそのおばあさんは忽然と消えた そこのところはご主人警察官としてどういう見解を持ってますのや? 
実はボクも傘地蔵の話を幼いころに話してもらってまして、それで何となくそういうことかなと…
まちなはれ!ご主人仮にも警察官ともあろう人がそんなことでええんですかいな
色々調べたんですけど、捜索願いも、何も出てなくてそれに
毎日毎日罪深き人間と対峙してますと、会った瞬間にアッ!この子は違うなとピ~ンときまして 
どうピンときたんやねん?
えっ それはもう地獄で天使に出会ったような 
わあ素敵な話だわ しかもそれがクリスマスなんでしょ ロマンチックね
なんやもう一つおまけがあるそうやな
はあそれが、私がおばあちゃんに着せたピンクのスエットがある日小包で送られてきたんですよきれいに洗濯されて、差出人不明で 幸せになってね!とメモが入ってた
んです。
なんやぞっとするけどええ話やな、世の中捨てたもんやないちゅうことやな